サッカー部で共に汗を流した卒業生2人が語る、
起業を通じて社会に伝えたいこと、
現在のルーツとなる十文字での思い出とは。
株式会社Rebolt代表CEO
下山田 志帆さん
茨城県出身。1994年生まれ。
慶應義塾大学卒業後、ドイツでプロサッカー選手に。帰国後、スフィーダ世田谷(当時)に所属しながら 内山穂南と株式会社 Rebolt を創業。現役サッカー選手。
株式会社Rebolt代表CEO
内山 穂南さん
埼玉県出身。1994年生まれ。
早稲田大学卒業後、イタリアでプロサッカー選手に。2019年に帰国し、高校の同級生であり戦友の下山田志帆と共に株式会社Reboltを創業。元サッカー選手。
#02
個性や多様性を尊重する十文字の校風が
社会を変えたい思いの原点に
企業活動を通して、多くの人がありのままに生きられる社会の実現を
目指す株式会社Rebolt。共同代表である卒業生二人に、現在の活動や
今後の展望、十文字時代のエピソードなどを語っていただきました。
自分らしく生きる素晴らしさを伝える、
その手段として起業を選んだ
お二人が経営される株式会社Reboltの企業の理念や事業内容についてお聞かせください。
内山株式会社Rebolt は、性別や年齢、国籍、容姿などから想起される「普通はこうあるべき」をなくし、誰もがありのままでいられる社会の実現に向け、挑戦を重ねています。私たちがメインメッセージとして掲げているのが、「WAGAMAMA(我がまま)であれ」という言葉です。ネガティブな印象を与えがちな「わがまま」を、「WAGAMAMA」というポジティブな言葉に再定義し、「誰もが自分の生きたい生き方を選べるように」という願いを込めたメッセージとしています。Reboltでは「WAGAMAMA(我がまま)であれ」を届ける手段として、D2C事業、エデュケーション事業などさまざまな事業を展開してきました。D2C事業では、アスリートの声をもとにしたプロダクトの開発・販売を行っています。第一弾のプロダクトである「吸収型ボクサーパンツ」は、シックなデザインと高い機能性が特長です。従来の生理用品はフェミニンなデザインのものが大半でしたが、アスリートからはそうしたデザインが苦手だという声もありました。また、激しい運動を行うにあたり、機能面で物足りないという声も聞きました。ストレスを感じながらも「他に選択肢がないのだから仕方ない」と諦めて着用する。そうしたスポーツ界の現状に疑問を抱き、誰もが「WAGAMAMAであれる」選択肢として開発・販売に踏み切ったのが「吸収型ボクサーパンツ」だったのです。発売当初から女性アスリートをはじめ、多くの方にご好評をいただき、うれしく思っています。エデュケーション事業では、「WAGAMAMAを引き出す教育プログラム」を実施しています。学校やクラブチーム、企業に至るまで、さまざまな場所で「セクシュアリティとジェンダー」、「生理」や「キャリア」などを主なテーマに講演を行い、多くの人に私たちのメッセージを届けています。また、最近では新規事業としてソーシャルアクション事業を立ち上げ、活動の幅を広げているところです。
従来の生理用品はフェミニンなデザインのものが大半でしたが、アスリートからはそうしたデザインが苦手だという声もありました。また、激しい運動を行うにあたり、機能面で物足りないという声も聞きました。ストレスを感じながらも「他に選択肢がないのだから仕方ない」と諦めて着用する。そうしたスポーツ界の現状に疑問を抱き、誰もが「WAGAMAMAであれる」選択肢として開発・販売に踏み切ったのが「吸収型ボクサーパンツ」だったのです。発売当初から女性アスリートをはじめ、多くの方にご好評をいただき、うれしく思っています。エデュケーション事業では、「WAGAMAMAを引き出す教育プログラム」を実施しています。学校やクラブチーム、企業に至るまで、さまざまな場所で「セクシュアリティとジェンダー」、「生理」や「キャリア」などを主なテーマに講演を行い、多くの人に私たちのメッセージを届けています。また、最近では新規事業としてソーシャルアクション事業を立ち上げ、活動の幅を広げているところです。
どのような経緯で設立するに至ったのでしょうか。
内山幼いころからサッカーが好きで十文字時代はもちろん大学でも継続し、卒業後は単身でイタリアに渡り、プロサッカー選手としてプレーしました。サッカーの世界を退いたのは 2019 年のことです。引退後に実感したのは、自由にプレーに没頭できていたピッチの上とは違い、社会には「女性はこうあるべき」「アスリートはこうあるべき」「学生はこうあるべき」などさまざまな固定観念が存在しているということでした。多くの人が「普通はこうあるべき」という考え方に縛られ、ありのままでいられない状況にモヤモヤを感じていました。そこで、十文字高校時代の同級生であり戦友の下山田と一緒にRebolt を設立しました。
下山田私も内山と同じように幼いころからサッカーに没頭していました。学生時代には男子チームでプレーしたこともあります。2019 年の春には同性のパートナーがいることも公表しました。私にとっては、「男性」「女性」という枠組みにとらわれずプレーすることも、同性を好きでいることもごく自然なことでした。日本はジェンダーやセクシュアリティの問題についてまだまだ発展途上だと思います。より多くの人が力を発揮できるように私も当事者として声を上げていこうと決めたのです。
「誰ひとり個性を否定しない」
温かでフラットな環境に大きく支えられた
十文字時代のエピソードで印象に残っていること、そこから得た気づきや成長した点、今に生かされていることなどがあれば教えてください。
下山田印象に残っていることは二つあります。一つは学年の先生方が私たち一人ひとりを大事に思い、常に肯定してくれていたことです。サッカー部の活動と勉強の両立はかなり大変でしたが、その努力を認めてくださり、「いつも頑張っているね」と声をかけてくださったことは大きな励みでした。当時、我が強く協調性の足りなかった私に対して、外見や表面的な言動で判断するのではなく、行動一つひとつを見守り、個性を認めてくださったことは忘れられません。二つ目は誰もがフラットな友人関係を築けていたことです。趣味、特技、目標、生活環境、思考などみなバラバラでしたが、互いに尊重し合う雰囲気がありました。高校から十文字に進学したのですが、中学時代は同じ考えや価値観を持つ仲間と一緒にいることが多かった私にとって、個性豊かな仲間との交流はとても新鮮に感じられるものでした。一緒にいてただ楽しいだけでなく、刺激を受けることもあり、自分の成長につながったように思います。「多様性」とは、「ありのまま」とはどういうことか、考えるきっかけにもなりました。
が多かった私にとって、個性豊かな仲間との交流はとても新鮮に感じられるものでした。一緒にいてただ楽しいだけでなく、刺激を受けることもあり、自分の成長につながったように思います。「多様性」とは、「ありのまま」とはどういうことか、考えるきっかけにもなりました
内山私も先生にまつわる忘れられない思い出があります。今でこそ「WAGAMAMAであれ」というメッセージを発信している私ですが、中高の6年間は、常に優等生然としていました。いつも「こうありたい」よりも「こうあるべき」を優先して、行動していたように思います。部活動のメンバーや先生方から頼りにされることもありましたが、身なりや振舞いなど自分の本来ありたい姿とはどこか違う気がして、もどかしい思いをしたこともあります。誰にも気づかれていないと思っていたのですが、卒業後にある先生とお会いしたとき、「本当はあのとき無理していたんじゃないか」という言葉をかけられ、はっとしました。自分でもうまく言語化できない思いを感じ取ってくださり、6 年間そばで支えてくださっていたことに感謝しました。先生方や仲間が理解し、見守ってくれていることに、私も知らず知らずのうちに安心感を抱いていたのでしょう。そのおかげであきらめず、もがき続けてこれた。結果、今の私があるのだなと納得しました。
2人で始めた「WAGAMAMA」の
担い手を増やし、次代につなげていく
2022年5月28日に行われたOPTUNITEDプロジェクトより
今後の展望についてお聞かせください。
内山「WAGAMAMAであれ」という言葉を広く社会に浸透させていきたい一方で、言葉が一人歩きしないようにもしたい。それから、ただメッセージを届けて終わるだけでなく、受け取ってくださった方々の意識が変わり、周囲にも伝えていってくださることも期待しています。今年5月には、ソーシャルアクション事業の一環として、女性アスリートを中心としたプラットフォームを設立したので、その動向にもぜひ注目していただきたいです。
下山田具体的に言うと、「OPT UNITED」という名称で、「普通はこうあるべき」をなくしたいという女性アスリートたちの思いに賛同した企業・クラブチーム・自治体と共に、ソーシャルアクションを起こす場として始動しました。
最近ではなでしこリーグ2部所属の大和シルフィードとパートナーシップ契約を締結し、今年5月28日に日産スタジアムで行われた試合において、ポスタープロジェクトを実施しました。今後、このプラットフォームを通して、私たちの挑戦を加速させていきたいと考えています。2人では社会の変革に100年かかるかもしれないけど、少しずつ賛同してくれる人が増えて、一人ひとりの意識が変わっていけば、もっと早く望む未来を引き寄せることができる、そう信じています。
2022年5月28日に行われたOPTUNITEDプロジェクトより