十文字中学・高等学校同窓会 公式ウェブサイト
十文字学園の卒業生は、様々な分野で活躍中です。
(2012年07月01日)

池内淳子さん (本名 中澤純子さん 高4回桜)

1933年生まれの池内さんは、三越デパート勤務を経て、55年新東宝「皇太子の花嫁」でデビューしました。65年、ドラマ「女と味噌汁」はその後シリーズ化となり、毎回高視聴率をマークしました。2002年4月春の褒章では、学術・芸術分野を対象にした、紫綬褒章を授章されました。2005年03月には、建て替えとなる前の、芸術座の最後の舞台[放浪記]にご出演。森光子さんが演じる「林芙美子」のライバルである「日夏京子」役として、舞台初共演を果たしました。

[主な受賞歴]
昭和31年 第1回日本映画制作者協会新人賞 受賞
昭和59年 「おさん」で菊田一夫演劇賞 受賞
平成10年度 第50回放送文化賞 受賞
平成11年 第7回橋田賞 受賞
平成11年度 第25回菊田一夫演劇大賞 受賞(「三婆」「月の光」)
平成13年度 芸術選奨文部科学大臣賞 受賞
平成14年 春の紫綬褒章 受章
平成15年 名古屋演劇ペンクラブ賞 受賞

平成22年(2010年)9月26日ご逝去されました

 

遠藤比芙美(松井)さん (高校8回蘭)

遠藤比芙美さん帝国ホテルの結婚式・披露宴の介添え係として、勤務する遠藤さん。現職に就かれたのは50代のとき。初出勤の日はホテル内部の広さに圧倒されて、とても務まらないと思ったと振り返ります。けれどもこまめにメモをとり着実に仕事を習得し、70歳になった現在も、現役の第一線として活躍中。他のスタッフの動きをみて、その一歩先を察して動くことが要求される難しい仕事ですが「自分の娘や息子だったらこうしてあげたいという気持で行動している」そう。その細やかな心配りがプロとしての信用に繋がり「遠藤さんに介添えを頼みたい」と指名が多いそうです。天皇家から民間へと嫁がれたことで話題となった、清子内親王殿下の披露宴でも、介添え役に抜擢され、暖かい雰囲気の披露宴の様子とともに、控えめに心配りをする遠藤さんの姿がありました。

「財界や芸能関係の方の結婚式を担当することも多く、本来なら会うことのできなかった方と会えるのもこの仕事の魅力ですね」と遠藤さん。とはいえ、お客様相手の仕事とあって、苦労はつきもの。毎回シチュエーションも違うので、マニュアルどおりにはいかず、その場その場で考えて行動しなくてはならない難しさもあります。時間を計算してエレベーターでなく階段を駆け上がることも。  十文字時代は、走ることが大好きだったという活発ぶりは健在です。仕事のこともあり、健康維持のため5年ほど前からバレエストレッチも始めました。「レオタード姿になってやるのも楽しいですよ。好奇心旺盛なのが、健康の何よりの秘訣かも知れませんね」。
[会報46号記事より]

 

熊澤 幸子(大類)さん 高14回菊 (昭和37年卒業)

生涯学び続けたい。

熊沢さん十文字時代に熊澤幸子さんには古松弥生先生という大切な恩師との出会いがありました。「古松先生に憧れて家庭科教師を目指すようになったのです」。また、6年間担任だった高橋清顕先生には勉強の基礎を教えてもらったと振り返ります。「先生方に生活面を厳しく躾けられたことも今となるとありがたいです。父にもよく家の手伝いをさせられたのですよ。まだ子どもでしたから、手伝いたくない時もありましたが、父に『後に役に立つから手伝いなさい』と言われました。本当にそのとおり。感謝しています。その忙しい生活の中で、効率よく勉強することも学びましたね」。

卒業後は先生の道を選び、昭和女子大などで家政学を教える傍ら、45歳の時に日本女子大児童学科に再入学し、その後学術博士を取得。60歳の時に日本女子大学院福祉科博士課程を卒業しました。主婦業、子育てとの両立はさぞかし大変だったのではと思いきや「忙しい毎日ですが、それで逆にストレスも発散できてしまうのですよ。暇になると逆に病気になりそう。人生、生涯学習なのではないかと思うのです」と笑います。

今春からは放送大学で家政学の講師も務める予定で「学生さんに教えることで自分が学ぶことも多いですね」ますます多忙を極めそうな熊澤さん。「今までいろいろな人に助けてもらったので、その恩返しに今後は学んだことを活かして、地域福祉にも貢献したいと思っています」と抱負を語ってくださいました。

[会報47号記事より]

 

篠原 邦子(炭元) 高18桂(昭和41年卒)

新しい編み方を発案

篠原さん「高校時代の担任だった安村先生はよく手紙をくださいました。新聞も全紙読んでいたそうで、私の記事が載ると、励ましのお手紙をくださいました。うれしくて、読み返すたびに涙が出ます。先生って本当にありがたいとつくづく思います。私にとっては、素晴しい恩師に出会えた、すばらしい場所それが十文字なのです」
卒業後は手芸の道へ。やがて編み物の奥の深さに目覚め、8年間夜間の編み物学校に通い最終的に師範の免状をとりました。

アイディア豊富な篠原さんは男性の編み物スクールを企画。サラリーマンや定年後男性13人の生徒さんが集まりました。「編み物はもともと漁師さんから始まった男性のものだという説もあります。でも編み物を教えるのには苦労しました」。そんな中、編み物の道理を教えるのに、編み棒の替わりに指で教えたことがゆび編みの始まりになりその後の篠原さんに大きな影響を与えました。。ゆび編みはまたたくまに評判になり、97年に本を出版するまでになったのです。その後「ゆび編み」だけではなく篠原さんの活躍自体も雑誌、テレビなど各メディアで取り上げられました。

現在、篠原さんははカルチャー教室で教える傍ら、ボランティアで老人ホームや知的障害を持つ子供たちの施設で教えるなど活動の場を広げています。

[会報47号記事より]

 

YOUさん

各方面のメディアに引っ張りだこのYOUさん。スカウトされ、モデルとしてデビューしたのが、芸能界入りのきっかけでした。2004年は「誰も知らない」が第57回カンヌ国際映画祭コンペティション部門正式出品作品となりました。その後も、映画「いま、会いにゆきます」(('04)の他、テレビ、舞台、とご活躍中です。

 

坂井真紀さん (本名 坂井真紀さん 高41回萩)

坂井さんは在学中、テニス部で活躍しました。卒業後、東京ビューティーセンター(TBC)のエステコマーシャルでデビューし一躍脚光を浴びました。その後、TV「世紀末の詩」('98)、映画「OL忠臣蔵」('97)など人気作品に、数多く出演されています。中でも、スタッフに恵まれ心に残る作品は、テレビドラマ「私の運命」('94)だそうです。

 

宝塚歌劇団 宙組 悠未 ひろさん (高校47回梅)

「ベルサイユのばら」の漫画をきっかけに、宝塚に興味を持った、悠未さん。もともとシャイな性格だったそうですが、宝塚の舞台を観たことが大きな転機となりました。自分も宝塚の男役になりたいと、十文字在学中に受験スクールに通い始め周囲を驚かせたそうです。

1995年に41倍の難関を突破して宝塚音楽学校に入学。97年に宝塚歌劇団に入団し、宙組に配属となり、05年にはバウホール公演『Le petit jardin-幸せの庭-』で初主演を果たしました。主演の重圧の中演じる大変さと、充実感を味わったと言います。

最近はリーダーとしての期待もかかり、責任の重さを、実感するそうです。多忙な日々の中、十文字時代の友人との再会が、リフレッシュできるのだとか。

「今後は宝塚を支える一人になりたいと思っています」と目を輝かせました。

[会報44号記事より]

 

松田祥子さん (高校50蘭)

松田先生は十文字で過ごした6年間がとても楽しく、充実したものであったので、是非ここで教師になろうと決意。夢がかない、現在は国語を教えています。受験相談や部活の運営など、授業以外にも様々な仕事があるので、当初は、想像していた以上に大変な職業だと感じたそうです。「忘れられないのは初めて担任を持った中学1年のクラスでのこと。合唱コンクールを目前にして、クラスにまとまとまりがなく練習にならないこともありました。子どもの心に寄り添い、相談に耳を傾けるうちに、いつしかクラスは団結していきました。コンクール当日、心を一つにして歌う生徒たちを見て、素晴らしい生徒たちに会えた感動で胸が一杯になりました。この経験から、子ども達の無限の可能性を感じました。生徒が生き生きと活動している姿を見たとき、大事な時期に自分が立ち会っているのだと、教師としてのやりがいと責任の重さをひしひしと感じます」。

担当する国語の授業では、感性や感受性の豊かな生徒を育てることを目標にし、たとえばうれしい気持ちを“うれしい”という言葉以外で表現させることも。「そうすることで、表現力が豊かになり、子どもの感性に驚かされますよ」。

気さくに生徒の質問に答える松田先生趣味は音楽でクラシックからポップスまでなんでもOK。高校時代に所属したマンドリン部の顧問も担当しています。「経験上わかる悩みもあるので、技術面以外にもメンタルな部分でのケアをすることも多いですね」

「生徒は真剣に向かい合うことで、伸びる。十文字を誇りに思う生徒を社会に多く出していくのが目標ですね」。

[会報46号記事より]

 

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